--ショーペンハウアー名言集-- |
(Arthur Schopenhauer アルトゥール ショーペンハウアー〉ドイツの哲学者。真の実在は盲目的な生存意志であるとし、個々の人間の中に意志として現れ、盲目的意志の衝突が相継ぐ結果、苦痛に満ちた人生を送らざるを得ないという厭世哲学を主張。この苦痛から解脱する道は、芸術活動に専心して個体の意志を克服するか、個体はすべて同一の形而上学的本質をもつ意志であると自覚し、他人の苦痛への同情を根拠として倫理的に解脱するか、のどちらかであるとした。主著「意志と表象としての世界」。(1788〜1860) |
・医者は人間を弱いもの、弁護士は人間を悪いもの、牧師は人間を愚かなものとみる。
―「パレルカ-ウント-パラリポメナ」―
・我々の肉体が衣服に包まれているように、われわれの精神は虚偽に包まれている。
―「幸福のためのアフォリスメン」―
・一般に、男性のあいだでは愚かで無知な男が、
女性のあいだでは醜い女が愛され、ちやほやされる。
―「幸福のためのアフォリスメン」―
・われわれの人生の場景は粗いモザイクの絵に似ている。
この絵を美しいと見るためには、それから遠く離れている必要がある。
間近にいてはそれは何の印象も与えない。
―「自殺について」―
・人は通常、金を貸すことを断ることによって友を失わず、
金を貸すことによってたやすく友を失う。
―「幸福のためのアフォリスメン」―
・全ての享楽と、全ての幸福とは消極的なものだが、苦労は積極的なものだ。
―「意思と表象としての世界」―
・結婚とは、男の権利を半分にして義務を二倍にする事である。
・謙遜(けんそん)というものは、平凡な能力を持つ人間の場合には単なる誠実であるが、
偉大な才能のある人間の場合には偽善である。
・人間の幸福の敵は、苦痛と退屈である。
―「随筆」―
・孤独は、すぐれた精神の持ち主の運命である。
―「パレルカ-ウント-パラリポメナ」―
・推理する能力を持っている人はたくさんいるが、
判断する能力を持っている人は少ししかいない。
・紙上に書かれた思想は、砂上に残った歩行者の足跡に過ぎない。歩行者のたどった道は見える。
だが歩行者がその途上で何を見たかを知るには、自分の目を用いなければならない。
―「読書について」―
・人の社交本能も、その根本は何も直接的な本能ではない。
つまり社交を愛するからでなく、孤独が恐ろしいからである。
―「幸福のためのアフォリスメン」―
・宗教とは蛍のようなものだ。光るためには暗闇を必要とする。
―「パレルカ-ウント-パラリポメナ」―
・信仰の強制は、不信仰を喚起するだけである。
・人はその生涯の40年間で本文を著述し、
これにつづく30年間において、前者についての注釈を付加する。
―「幸福のためのアフォリスメン」―
・富は海水に似ている。飲めば飲むほど喉が渇く。
名声についても同じことが当てはまる
―「幸福のためのアフォリスメン」―
・人は何でも忘れる事が出来るが、自分自身だけは、自分の本質だけは忘れる事はできない。
―「幸福のためのアフォリスメン」―
・読書しているときは、われわれの脳はすでに自分の活動場所ではない。
それは他人の思想の戦場である。
―「読書と書籍について」―
・老年の歳月における人生は、悲劇の第五幕に似ている。
人間は悲劇的な最後が近いことは知っているが、それがいかなるものであるかは知らない。
―「幸福ののためのアフォリスメン」―
・読書は他人にものを考えてもらうことである。
本を読む我々は、他人の考えた過程を反復的にたどるに過ぎない。
―「読書について」―
・知は力なり……とんでもない!きわめて多くの知識を身につけていても、
少しも力を持っていない人もあるし、逆になけなしの知識しかなくても最高の威力を振るう人もある。
―「知性について」―
(27-02/11/01)