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||〜人生知への箴言〜||

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平和条約についての規準など、いくら良く考えられ、いくら手際よく整えられたものであろうと、なんの役にも立たぬ。生への畏敬の思いを実効あるものにする思考のみが、永遠の平和をもたらすことが出来るのである。
byアルベルト・シュバイツァー「文明と倫理」


欲求がすっかり満たされ、もはや生存のための闘争をする必要がない国民は、次第に生命力を失い、嗜眠(しみん)と愚鈍の中に沈んでしまうであろう、というのは真実ではない。あこがれは、理想は、常に限りなく残るものである。
byエミール・ゾラ「労働」


思考するものが思考する時点において存在していないというのは矛盾である。してみれば、「我思う、故に我あり」という命題は、あらゆる認識の中で、最初にしてもっとも確かな認識である。
byルネ・デカルト「哲学の原理」


ある見解が役に立つかどうかは、それ自体見解の問題である。
byジョン・スチュアート・ミル「自由論」


人間とは自分自身でそうなろうとするもの以外の何者でもない。これが実存主義の第一原理である。これがまた主体性と呼ばれるものでもあって、ほかならぬこの名のもとに我々は非難される。しかし、我々がこれによって言っていることは、人間が石や机よりも高い価値を持つということ以外のなんだというのであろうか?
byジャン=ポール・サルトル「実存主義はヒューマニズムか?」


無神論的実存主義はこう宣言する。たとえ神が存在しなくても、実存が本質に先立つところに、少なくとも一つは存在がある。つまり何らかの概念によって規定され得る以前に実存しているところの存在があり、この存在が人間にほかならない、と。
byジャン=ポール・サルトル「実存主義はヒューマニズムか?」




人間は不安の中に浮かんでいる。その不安が時として言葉を黙させる。そして沈黙と同時にいっさいの存在物が遠ざかり、かわって無が立ち現れる。その薄気味悪い無の虚ろな静けさ。それに耐えられず、人々は、ただとりとめもないおしゃべりでその静けさを破ろうとするのだ。
byハイデッガー「形而上学とは何か」


私が読書に大した価値を認めない、といい切ってはもちろん言いすぎである。読書は確かに価値がある。読書は確かにいいことである。しかし私の見るところでは、世間の読書礼讃家の中には、読書に対して、それが本来値しないような価値を認めたがる傾向があるようである。いったい読書が一般に、ただなんとなく上等な、高級な、品のいいことのように考えられているのは、考えてみれば、不思議である。
by宮沢俊義「読書法というもの」


何か小説を読むと、古くさいことばかり書いてあって、みんな分かりきったことのように思えるけど、いざ自分で恋をしてごらん、はっきりしてくるから。――だれも何一つわかっちゃいないのだ、人はめいめい自分のことは自分で解決しなければならないのだ、ということがね。
byチェーホフ「三人姉妹」


元始、女性は実に太陽であつた。真正の人であつた。今、女性は月である。他に依つて生き、他の光によつて輝く病人のやうな蒼白い顔の月である。私共は隠されたる我が太陽を今や取戻さねばならぬ。(中略)あまりに久しく男性の従属者として、夫や夫の両親の思はくに、又は家庭の雑役に絶え間なく心を配らねばならなかつた女性の奴隷的生活には少しも自己沈潜も許されなかつた。かくして女性は自己といふものをいつか見失ひ、同時に心の落ち着きを、精神の集注力を失つてしまった。(中略)調和よ、統一よ、無限よ、完全よ、永遠よ。私はここに人間の真の自由、真の解放を見出さう。(中略)最早女性は月ではない。其日、女性は矢張り原始の太陽である。
by平塚雷鳥「青踏」(創刊号序文)


死の観念は、法律の原動力、宗教の母、政治のひそかな、もしくは恐ろしくあからさまな動因、光栄と熱愛の根本刺戟剤――無数の探求と瞑想の根源だ。
byP・ヴァレリー


私が森に住(い)ったわけは、私が慎重に生きようと欲し、人生の根本的な事実にのみ対面し、それが教えようと持っているものを私が学ぶことができないものかどうかを知ろうと欲(ほっ)し、私がいよいよ死ぬというときに、自分は生きなかったということを発見することがないように欲したからである。私は人生でないものを生きることを欲しなかった。
byソロー「森の生活」


大雑把な意味での恋愛、つまり単に自然の要求を満足させたいという好色的な要求の面から見ると、人間も一般動物と同じだが、不思議なことには、そうした自然の衝動が単に人間をむやみに盲目的な行為に走らさず、肉欲の強さに負けないほど強力な感情が起こって、審美的な高いものへの憧れや、道徳の高尚な世界への渇望が起こって、人間と動物との相違をはっきりさせてくれる。
byK・エビング「性的倒錯」


ファシズムの目標とロシア共産主義の目標を同等に置くのは正しくない。ファシズムは刑吏の賛美を刑吏自身の手で書いてみせる。共産主義は犠牲者をとおした刑吏の――劇的な――賛美である。ファシズムは、全ての人間を解放することは一度として考えた事がなく、一部の人間の解放、しかも他の人々を圧迫する事による解放を考えただけである。共産主義はその至上原理から言えば、暫定的に全ての人間を奴隷化する事によって、全ての人間を解放することを目指しているのであり、その意図の偉大さは認めなければならない。それに対し、両者のやり方を政治的シニシズムと同等に見るのは正しい。両者ともそれを道徳的ニヒリズムという同じ源泉から汲み取っているのである。
byアルベール・カミュ「暴動の中の人間」


懐疑論に対する、独断論に対する、不信仰に対する、迷信に対する、常に絶えざる、くじけざる戦いを、宗教と自然科学とが共同して戦わねばならぬ。その戦いにおける方向指示の合言葉は、昔より未来永劫に及ぶまで、こうである――"神のほうへ!"
byマクス・プランク「宗教と自然科学」


現状の生活と理想的な生活との間には、あまりにも大きな相違があるから、起こるべき事柄にばかり目を向けて、現実に起こっている事に目を向けないものは、自分の存在を維持するどころか、かえって早く破滅してしまう。常に善のみを欲する人間は、善ではないかくも多くの人間のただなかで、破滅するのやむなきに至るであろう。
byニコロ・マキャベリ「君主論」


何よりも次の二つの真理を記憶せよ。まず第一に、外界は君の魂に触れることはできず、常に揺るぎ無く外部に立つものであるから、君の内面の平和は君の想像からのみ生じるということ、そして第二に、君がいま目の前に見ているものは、たちまち変化してもはや存在しなくなるということだ。実際、君はこれまで、いかに多くの変化の目撃者であったことか!世界とは永遠の変移であり、人生とは迷妄である。
byマルクス・アウレリウス「省察録」




人生の時計は、一度しかネジを巻かない。その針がいつ止まるか、遅れるか、それとも、もっと早くか、誰も知らない。今だけがあなたの時間だ。生きよ、愛せよ、心をつくして働け。明日があると思ってはならない。何故なら、その時、人生の時計は、止まっているかもしれないから
by山田俊夫「生きがいのある人生」


自己に絶望し、人生に絶望したからといって、人生を全面的に否定するのはあまりにも個人的ではないか。人生は無限に深い。我々の知らないどれほどの多くの真理が、美が、あるいは人間が隠れているかわからない。それを放棄してはならぬ。
by亀井勝一郎


道はよいこともあり、悪いこともあり、上りもあれば下りもあります。安らかなことは滅多にありません。風はいつも後から吹くわけじゃなし、道で会うのがすべて友人であるわけでもない。今までにも名だたる難儀に出会ったし、今後どんな目にあうか、分ったものじゃない。けれど要するに、善人は悩まねばならぬと昔から言われていることは、本当だと悟りましたわい。
byJ.バニヤン


かれの考えによると、人間はある目的をもって、生まれたものではなかった。これと反対に、生まれた人間に、初めてある目的ができて来るのであった。最初から客観的にある目的をこしらえて、それを人間に付着するのは、その人間の自由な活動を、すでに生まれる時に奪ったと同じことになる。だから人間の目的は、生まれた本人が本人自信につくったものでなければならない。けれども、いかに本人でも、これを随意につくることはできない。自己存在の目的は、自己存在の経過が、すでにこれを天下に向かって発表したと同様であるからである。
by夏目漱石「それから」


毎日、毎週、毎月、毎季節、毎年、違ったところは少しもない、同じ時間に出勤し、同じ時間に昼飯を食い、同じ時間に退勤する。これが二十歳から六十歳まで続くのだ。そのあいだ特筆大書すべき事件は四つしかない。結婚、最初の子供の出産、父と母の死。そのほかには何もない。……いや、失礼、昇級があった。
byモーパッサン「水の上」


なんと速やかに我々はこの地上を過ぎて行くことだろう。人生の最初の四分の一はその使い道もわからないうちに過ぎ去り、最後の四分の一はまたその楽しさを味わえなくなってから過ぎて行く。しかもその間の期間の四分の三は、睡眠、労働、苦痛、束縛、あらゆる種類の苦しみによって費やされる。人生は短い。
byルソー「エミール」


大衆というものは、キリストが十字架におもむくとき、一体どんな態度を取ったか?大衆というものは、地球が太陽を廻るという真理に反対し、ガリレオを犬のように四つんばいにして引きずりまわしたではないか。その真理を肯定するのに、大衆は五十年もの歳月を要した。多数が正しいのではない。真理そのものが正しいのだ。
byイプセン


人間は自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない。だがそれは考える葦である。これを押しつぶすのに宇宙全体が武装する必要はない。水蒸気や一滴の水もこれを殺すに十分である。だがたとえ宇宙がこれを押しつぶすとしても、人間は人間を殺すのよりも崇高であろう。なぜなら、人間は自分が死ぬことと、宇宙に対する自分の優位とを知っているからである。だが宇宙は何も知らない。
byパスカル「パンセ」


僕はよく思うんですがね、もし人生をもう一度新しく、それどころかちゃんと自覚して始めるとしたら?とね。すでに生きてしまった一つの人生はいわゆる下書きで、もう一つのほうが清書だったらねえ!その時こそ、われわれはめいめい、まず何よりも自分自身を繰り返すまいと努力するだろうと思うんですがね。
byチェーホフ「三人姉妹」


人間は深淵に架けられた一条の綱である。渡るも危険、途上にあるも危険、後ろを振り返るも危険、身震いして立ちとどまるのも危険。人間において偉大な点はそれが橋であって目的でないことだ。人間において愛されうる点は、それが過渡であり、没落であることだ。
byニーチェ「ツァラトゥストラ」




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